好きを、無かったことにする話

突然ではありますが、今日3月1日をもって溝口くんの担当としての人格を、一旦葬ることにしました。

 

軽く言えば担降りブログだし、重く言えば遺書です。今日3月1日をもって、と書いてはいるものの、この記事を書いているのは2月の半ばです。きっと当日に書いてたら悲しくて八つ当たりのような文章しか書けないと思うから、それならまだ心が穏やかな今のうちに書いておくことにしました。多分、今書いたとしても悲劇のヒロインぶってるし誰かに当たりの強い言い方をしてしまう気がするけど、なんとか自制して頑張るので。あ、あとはもっと悲しんでるオタクも居るとか思われちゃうかもしれないけど、悲しみのマウンティングしたって仕方ないじゃないですか…私の人生は私がヒロインです。舞踏会に行けず悲しみに暮れているシンデレラに向かって「白雪姫の方がつらい思いをしているんだぞ」なんて言いませんよね、それと同じです。私シンデレラでもなんでもないけど。だから、寛容な目で見てください。なんちゃって。

 

私が溝口くんの担当を名乗るようになったのは、去年の4月でした。ということは、溝口担として1年持たなかったわけです。溝口担だった頃から、いや、もっと前、淳太担だった頃から推しは何人か(何人も)居たし、今も居るけど、飽きっぽいヤツなんだと思われたら嫌だな。担当じゃなくなるのは、決して飽きたからとか、溝口くん自身が嫌になったわけじゃなくて、今まで知らなかった自分のメンタルの弱さに気付いてしまったからです。

 

この記事を読んでくれる人が居るということは、溝口くんは今年も春松竹に出ていなかったのでしょう。溝口くんが松竹に居なかったら公開しようと決めていた、都合のいい担降りブログなので。

 

溝口担になったのは2017年の4月だったけれど、2014年末に入所した溝口くんのことを好きになったのは2015年1月だったし、初めてファンレターを書いたのはその年の夏松竹。自分で言うのもおかしいけど、ちょっとだけ長い間、溝口くんのことが好きでした。大学生活が落ち着くにつれて自分のオタクスタイルが確立されたから、入所してすぐ溝口担になった立ち位置!認知!ファンサ!みたいな人には勝てると思ってないし、そこを争っても仕方ないけど。あえて書くと、なんだか負け惜しみみたいだなあ。まあ、いいか。そんな中でたまたま色んなタイミングが重なって、溝口担になる決心をしました。

 

多分、溝口担になるための担降りブログでも書いたような気がするけど、彼を好きになった理由は、前に好きだったJr.の子に似ていたからでした。今でも似てるなあと思うことはあるけど、前に好きだった子に対する好きよりも、今溝口くんに対して抱いてる好きの方が大きくて重たいよ。

 

溝口くんに宛てた初めてのファンレターは、確か、似顔絵を入れて送りました。返信用の封筒も何も入れていなかったけど、夏が終わる頃にありがとうと返事が届いて、Jr.からファンレターの返信が届くという話は聞いていたけれど実際届いたことなんて無かった私は本当に嬉しくて、今でも鮮明に覚えているくらい。その次の公演でも同じようにイラストを入れて送りました。別に上手くもないソレを「もらえて嬉しかったから、勉強机のマットに挟んでいます」なんて言ってくれる子が嫌いになれるわけなくて、ますます好きになっていました。

 

2016年はお決まりの松竹座に加えて、梅芸でジャニフワがあったりして。最初はどこまで関ジュが出るか発表されていなかったから、友達に名義を貸しちゃってたんです。しかも届いた座席は1階3列。ウケる。めちゃくちゃ良心と闘ったけど、ちゃんと彼女に渡しました。そんなジャニフワは連日のチケツイの末、2公演だけだったけれど入ることができました。ちなみにその時のご縁ってまだ続いてるんですよ。嬉しいな。でも、今思えば、もっともっと入っておけばよかった。その年のクリパから、溝口くんが松竹座に立つことはなくなりました。初日、ステージの定位置だった上手の奥の方を見ても溝口くんは居なくて、何曲歌っても、MCが始まっても、最後まで出てくることはありませんでした。インフルエンザかもしれない、たまたま来られないだけかもしれない、そう思って数日経った頃、溝口くんは2階の最前列で公演を見学していたというレポが流れてきました。去年の4月に書いた担降りブログにはここまでしか書かなかったけど、実は続きがあって、クリパには出ないんだという事実が確定した次の日、溝口くんから少し早いけどクリスマスカードが届きました。ジャニフワで送ったファンレターに対する返信で、クリパに出られなくてごめんね、と添えられていました。そのポストカードが言っちゃ悪いけどペラペラの紙で、でもたくさんお返事を書いたんだろうなあって想像したら、なんだか嬉しかったのを覚えています。これはきっと、母性です。

 

もちろん、2017年は春も夏も冬も、溝口くんは松竹座には居ませんでした。その代わり、と言っていいのかどうかは分からないけど、夏は関ジャニ∞のツアーバックとしてたくさんの場所に連れて行ってもらいました。いや、私が勝手に行っただけなのは分かってる。大丈夫。ジャニフワと同じ手持ち0からのスタートで、ジャニフワと違ったのはできるだけ入ろうとしたこと。たくさんの人にめちゃくちゃお世話になった夏でした。土曜日に連番したフォロワーさんと日曜日に縦で前後になった時はびっくりしたなあ。3日間泊めてくれた家主には寝相がミイラみたいだって驚かれたりもしたっけ。どうしようもないこともあったからオーラスは諦めたけど、ジャニフワほどのもっと入っておけば良かったなんて後悔は無いです。強いて言うなら8/6の村上ズッコケガチャに成功した日は入りたかったなあ。東京からの夜行バス、名古屋で途中下車すればよかった。ナゴヤドームは、溝口くんが初めて連れて行ってくれた場所です。東京ドームも、カウコンと運動会のイロモノ現場を除けば溝口くんが初めてのコンサートとしてカウントできるし。

 

ベストヒット歌謡祭のエイトのバックに関ジュがつくことが発表されたのは10月末?とかのことで。ツアーバックに居たんだから絶対に居るはずという気持ちだったものの、私は塾でアルバイトをしているのですが、ちょうどその日が修学旅行と被っている生徒が居て、もしかしたら溝口くんの修学旅行とも被っているかもしれない…という不安でいっぱいでした。蓋を開ければ溝口くんはちゃんとテレビの向こう側に居て、端っこではあったけれど1番前で、50秒くらい映り込んでたんです。50秒だよ、50秒。ツアバじゃなかったのにベストヒット歌謡祭に出ていた関ジュの子がたくさん居た反面、ツアバだったのにも関わらずベストヒット歌謡祭に出ていなかった関ジュの子も居て、やっぱりあの世界は残酷だなぁって。でも心の何処かで、溝口くんは居てくれて良かったって思ってしまってたんです。

 

ベストヒット歌謡祭に出ていたから、もしかしたら、クリパに帰ってくるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、いつものように入った初日。ベストヒット歌謡祭が本当に嬉しかったことを手紙に書いて、ファンレターボックスに入れました。春も夏も、公演初日に入っては溝口くん宛のファンレターを入れていました。お返事が届くことは無かったから、きっと溝口くんの手元には渡らなかったんだと思います。私はそんな、届くかどうか分からない、届かないかもしれないファンレターのことを死に手紙と呼んで揶揄していました。やっぱり、クリパに溝口くんは居なくて、10日くらいした頃に見学に来ていたとツイートを見かけました。溝口くんってめちゃくちゃ真面目でたくさん見学行ってるし、私もそこそこいろんな公演入ってるはずなのに、一度も見学に来てる溝口くん見たことないの!ニアミスばっかり!ちなみに溝口くんたちがクリパを見に来た次の日から出演者以外へのファンレターがロビーに晒されるようになって、死に手紙を送ることすら許されなくなったってちょっと騒いだ。そんな中、溝口くんからクリスマスカードが届いたのは、12月24日。赤色の封筒が速達でクリスマスイブに届きました。そこに書かれてあったのは、クリパで出したお手紙へのお礼と、出られなくてごめんねと、ベストヒット歌謡祭の話。見学に来た時に、たまたま持って帰ってくれたんだろうなって思っています。修学旅行と被って出られないんじゃないかと心配していたベストヒット歌謡祭は、本当に修学旅行と被っていたけれど、それを諦めてベストヒット歌謡祭に出ることにした、みたいです。私はその選択をしてくれたことが、本当に、本当に嬉しかった。そんな溝口くんが居るならどこにでも見に行くから、お正月は横アリと城ホールのどっちに居てもいいように両方の準備をしていました。

 

溝口くんからもらったものはお手紙だけじゃなくて、いろんな出会いもありました。残念ながら同担のお友達はできなかったけど、溝口くんといえばせむちゃんと言ってくれる人がたくさん居て、溝口くんのお仕事を一緒になって喜んでくれるお友達が居たから、私は溝口くんが好きだと声を大にして言い続けることができました。

 

「関ジュの曲で、1番好きな曲は何ですか?」と聞かれる度に、esper*1だと言っていたのですが、曲調も好きだけど、その理由はesperが初めて溝口くんからファンサをもらった曲だからというのは内緒です。ファンサが欲しいわけじゃないけど、自分のファンを見つけたときの表情が大好きで、コンサートに行けば必死になってしまったこともあります。これも内緒ですけど。

 

松竹に出られない立ち位置であることを分かった上で担当になる覚悟を決めて、私なりに全力で応援をしてきました。事務所への文句を言ったら「干されてない子を応援すればいい」と言われたこともあったけど、できませんでした。私が応援したいのは、ファンでいたいのは、溝口くんだったから。

 

でも、もう、疲れました。

 

単純に言ってしまえば、勝手にやった仕事の予想が外れた、ただそれだけのことです。去年の夏がそうだったから、松竹座に出ていない子は先輩グループのツアーバックになるものだと思っていました。エイトと同じように、WESTの後ろで踊る溝口くんを全国で見られると思っていました。そのつもりでFCの名義も増やしたし、デジチケとはいえ、なんとか満足行くであろう回数は入れるくらいのチケットも用意していました。あけおめと被っていた横アリには 、14人の東京Jr.がバックに居たらしいから、それなら絶対居るはず。そう思って、元々行く予定にはなかったけれど、1/14の福岡公演のチケットを手配しました。福岡1日目だった13日はどうしても外せない予定があったから、私のツアーは14日に初日を迎える予定でした。13日の夜、友人から送られてきたメールに溝口くんの名前はありませんでした。たくさん迷惑をかけることになってしまったけれど、優しさに甘えて、14日は福岡には行かず大阪に居ました。飛行機代と夜行バスのキャンセル料は帰ってこないけど、それでも行く気になれませんでした。名古屋公演は単純にWESTのコンサートに行きたいという気持ちと、高校の頃の友達と会う予定があったから、2週間も経てば気持ちが落ち着いているだろうと思い、新幹線に乗りました。WESTのコンサートはありがたいことに、Jr.だけがステージに立ってマイクを持たせてもらえる時間があります。今回のツアバ組が選んだのは、あけおめコンでもやっていたダンスインザダークとUME強引オン、それから新曲の関西アイランドでした。あけおめコンでは溝口くんも居たはずの曲なのに、どこにもその気配が感じられなかったことが悲しくて、アリーナで、椅子に座り込んでしまいました。モニターを見ることすら、嫌でした。「なんであの子が居て、溝口くんは居ないんだろう」福岡公演のメンバーが発表された時に感じたのと同じことが、やっぱり過ぎってしまいました。Jr.コーナーで座るデビュー組担や、デビュー組しか出ていない時に座るJr.担はよく聞くけど、私がなってしまったのは、Jr.コーナーで座るJr.担でした。全然上手くない。あと何回か、淳太くんを見るためにWESTのコンサートに行く予定だけれど、きっとJr.コーナーを見ることはできないと思います。時々流れてくるWESTのメンバーと関ジュの絡みレポも、見るだけで勝手に悲しくなっちゃって、すぐに画面をスクロールしてしまうんです。悲しい、羨ましい、悔しい、そんな気持ちでいっぱいになるけど、その関ジュのファンの子は凄く嬉しいだろうし、他の人たちもきっとハッピーな気持ちになっているところに私なんかが水をさすようなことはしたくないから、見なかったことにして、シュシュッと。見れなくて、ごめんね。って、誰に謝ってるんだろう。

 

関ジュ担の間では松竹に出られる子を推され、出られない子を干されと表現することが多いです。松竹に出ているからといって推されとまで言っていいのかは分からないような子もたくさんいるけど、便宜上そう呼んでいます。少なくとも私は。ツアーが進むにつれて、「ツアバ組は干されじゃない」というツイートを時々見かけていました。確かに、他に仕事があるからたまたま松竹に出られなかった。出られなかったというより、出なかったのだという解釈もできると思います。じゃあ、本当の干されは、溝口くんだけです。意外と知らない人が多いんですけど、あけおめコンに出ていた関ジュの中で2017年のクリパに出ていなかった上にWESTのツアバでもないのって溝口くんだけなんですよ。ノスタルジアダンスインザダークを歌ったのは11人、ツアバは10人です。でも、知らなくて当然です。あまり大きな声で言ってないので。溝口くんは2016年の冬から松竹に出られなくなったけど、それより前から松竹を干されている子も何人か居て、その子たちは先に言っていたツアバだったのにも関わらずベストヒット歌謡祭に出ていなかった関ジュの子、でした。溝口くんは修学旅行を諦めてでもベストヒット歌謡祭を選んだのだから、干されの中でも少なからず希望を持ってたっていいんじゃないか…大きな声では言えないけど、そんな風に思っていました。でも、残念。干されの中の干されは溝口くんでした。

 

2月から留学をする、と雑誌で言っている子が居ました。その子は松竹座に出ている子だけど、あけおめコンの時は一番上の段で踊ることもあるような立ち位置の子でした。もしかしたら、留学で出られないその子の代わりに、溝口くんが松竹座に立てるかもしれない。それだけの何の根拠もない僅かな希望で1月末と2月を生きていました。関西だけじゃない、ジャニーズJr.なんて、いくらでも代わりの居る存在です。公演中に1人が怪我をして出られなくなった時、Jr.マンションでその子のシンメになる子が居た部屋は空室になっている…そんなこともありました。オタクにとってはどこに居たって自担が0番!そうは言っても、Jr.なんて、背景でしかないんです。ステージ全体をバランスよく、見栄えよくするための存在なんです。だからツアバも、溝口くんが入ったらバランスの悪い奇数になってしまうから、彼は呼ばれなかったんだと思います。それならもう一人、松竹に出ている高校生の子をツアバにしてくれたら良かったのになんて自分勝手なことを思うけど、それじゃダメだったんだろうな。腹立つなぁ。その中で、一握りの子たちだけが、唯一無二の存在としてメインを張れるのだと思います。そんな世界で、いくらでも居る「誰かの代わり」にすらならせてもらえなかった。なんとか生き繋いでいた希望も無くなってしまったので、春松竹の始まるこれから1ヶ月、どうやって生きていけばいいのか分かりません。「文句があるならやめればいい」と何も知らない誰かから言われるのが本当に嫌いだったけど、この、溝口担としての私を生かすのをもうやめることにしました。きっとこのまま生かしていたら、誰かのことを傷付けることばかり言ってしまいそうで。「せむちゃんが優しいから、溝口くんもきっといい子なんだろう」そう思われたくてやってきたつもりのアカウントだから、私の発言が溝口くんの名前を汚してしまう前に居なくなりたい。溝口くんが松竹座に戻ってきた時に、溝口担として彼を迎えたいなんて意地にも似た気持ちで溝口くんのファンを続けていたけれど、私が我慢比べに負けてしまった。ただ、それだけです。

 

降りると言ったものの、まだ降り先は決めていません。何人か好きな子、推し…かなあ…なんて子が居るから、そのうちどちらかの担当になってたりするのかな。もしかしたら18年組の子だったりして。アカウントも消してしまいたいけど、いくつかチケットのお取引をしているので、それまでは置いておくつもりです。お取引中の方が読んでくれているかは分かりませんが、不安だと思うので新しいアカウントをお伝えします。あ、そうだ、それから、受験や進路のことで色んな相談をしてくれた子たちが、自分の思う道に進めますように。

 

これだけ好き勝手に書いたから、もし溝口くんに新しいお仕事が決まっても同じ場所で息を吹き返すことはないと思います。いや、さすがにね、ちょっと恥ずかしいじゃないですか。これだけ洗いざらい書いておいて、復活するんかーい!みたいな。だから、またどこかで私を見つけたら、新しい私として出会ってもらえると嬉しいです。

 

「これからも応援させてね」と書いた溝口くん宛の手紙が嘘になっちゃったことだけが心残りだけど、もうそれも、やっぱりしんどいや。6500字超のブログを書き殴れるほどの熱量と想いが、余計に自分を苦しめていたのかなあ。来世では気楽に、ポップでキャッチーなオタクになれますように。

 

おしまい

*1:今回の春松竹でまんまとセトリに組み込まれていて、イントロ流れた瞬間から泣いてたし終演後にesperが好きな理由を知ってるくらいのお友達に「esperはダメだよね…!」って言われてまた泣いた。これから平気な顔でesperを聞ける日は来るのかな。(3/1追記)